ここは『クローバーハウス』と呼ばれるとある事務所。
カリスマ性を持ち合わせた元女優、伊勢那美が率いる新進気鋭の芸能プロダクションだ。
彼女は類まれなるセンスと実績で、芸能界を渡り歩いてきた。それは第一線を退いた今でも、変わることがない。彼女が、右を向けと言えば右に、左を向けと言えば左を。
業界全体がモーゼの紅海みたいに、彼女の一言によって多大の影響が与えられてしまう。
伊勢那美とは、そんなミラクルなパワーを持った人物だと、わたしは思っている。
それは事務所の至る所にもあらわれていた。
まず、事務所に入るとまずお洒落な内装に目を奪われる。ここは、モデルハウスか何かかな、と疑問を抱くほどだ。
見た事のないデザインの椅子やテーブル。床にも、壁面にもデザインが凝らされていた。恐らくだが、相当に名高いデザイナーが趣向を凝らして作った空間ではないかと思うのだ。
こういう建物のチョイスひとつをとっても、那美社長のセンスがずば抜けている。あの人には人を惹きつける何かがあると、平凡なわたしでも考えさせられるくらいだ。
非凡な人間には、非凡な人間が引き寄せられる。それはこの事務所に所属するアイドルを見ても明らかだ。
彗星の如くデビューしたアイドルグループ「ペッシュ」。四人組の彼女たちは、それぞれが圧倒的な個性と実力を兼ね備えた、次世代を担うアイドルとして話題沸騰中だ。
個性的過ぎてトラブルは尽きないようだが、そこは事務所の強力なサポートが効いてくる。
問題児だらけと言っても過言ではないこの四人は、厳しい事務所での躾によって、行く道を違えないように指導がなされていた。
それが、いわゆる『お尻ペンペン』という、本来は子供の為の躾け方である。
彼女たちは事務所で日々このお仕置きを受ける事で、少しずつ成長していくのだった。
ところで、ここで少しだけわたしの事を話そう。
わたしは時折、この事務所でカメラマンとして働かせてもらっている平々凡々なただの一般人だ。だから、名乗る必要も無い。
ただ、この事務所のアイドルの魅力的な一瞬を切り抜く為にだけ、存在していると思ってくれて構わない。
そう言いきってしまえるくらい、ここに所属しているアイドル達の質は高い。
わたしは、少なくともこの事務所にいる間はただ彼女達の為にのみ存在していると、迷いなく言えるくらいには。
わたしの目的は、日々成長していく彼女たちの、煌めく露玉のように美しい一場面一場面を、カメラのファインダーを通してファンに届けることである。
さて、前置きが長くなってしまったが、本日の仕事に移ろう。
わたしは多少大袈裟に思える仕事道具を片手に、事務所の受付を抜け、今日の現場に向かった。
コツコツと歩く度に足音が子気味よくなって、何となく楽しい気持ちになってくる。
今日の仕事は、夕月美空に張り付いて一部始終を記録することだ。
彼女はわたしにとって、お気に入りの人物のひとりである。
「ペッシュ」にとってのビジュアル担当。
オシャレに詳しく、写真に取られる事に抵抗のない彼女は気分が優れない時以外は、最高の被写体と言えた。
まあ、気分が優れない時、言い換えれば不機嫌な時以外は最高なのだ。
不機嫌な時は、傍から見ていてもそれがはっきり分かるくらいに正直だ。素直で、気持ちに嘘を付けない性格なのかもしれない。
だから時々、短絡的にも思える行動をとって事務所を大騒ぎに巻き込んでいる。記憶に新しいのは、合コンの写真を記者にうっかり取られるという事件だ。
事務所によって事件はもみ消されたものの、アイドル生命がもしかしたら終わってしまうかもしれないという事件を、彼女は「楽しそうだったから」の一言で弁明した。
当然、そんな言い訳で許される訳がなく、その後たっぷりお尻に制裁を加えられている。
けれど、喉元過ぎればなんとやら、最近また怪しい行動をしていると事務所の間では噂になっていた。
そんな危なっかしい彼女だが、その危うさすら魅力に変えて、日々アイドル活動に精を出している。
「今日の担当はあんた?」
美空が控え室で脚を組みながら、こちらに目線を向けもせずに言った。手元にはファッション誌。
ああ、今日は機嫌の悪い方の日なのかと、わたしは思う。今日は相当に苦労する事になりそうだ。
「ええ、よろしくお願いします」
と言っても、わたしもプロだ。彼女の最高の表情を引き出さなければならない。それには、彼女の機嫌回復も仕事に含まれる。
「今日はとても良い天気でしたよ? 外での撮影も気持ちが良さそう」
「天気良くても関係ないし、あたしにとって面倒なのは変わんない」
「そうですか? 雨の日よりもわたしは好きだな」
「日焼け対策しなきゃいけないのも最悪。あたし自由に焼きたいのに」
「まあ、美空さんはアイドルですからね」
話してみた感じ、余程ご機嫌斜めのようだ。
「あ、ネイル可愛い」
わたしは彼女の爪に話題を移すことにした。彼女の爪はピンク色をベースに控えめなビーズでデコレーションされている。
「わたしもネイルしたいんですけど、仕事柄機器を弄らなきゃいけないから……。だから、美空さんの爪可愛くて羨ましいー」
「あ、うん。まあ」
今度は好感触だった。
満更でもない表情を浮かべかけて、今自分は機嫌が悪いんだったと思い出して、表情を引き締めたのが分かった。
一度不機嫌なていでいると、なかなか素直にリアクション出来ないのは良くあることだ。
わたしの前ではそれでもいいのだが、もう少ししたらここに来る彼女の前ではそんな態度は通用しない。
彼女とは、マネージャー出雲美琴の事だ。
彼女は現役のアイドルとしても通用するのではないかという見た目と、プロポーションだが、後進を育てるためか早くに引退している。
ペッシュの四人の教育係でもあり、彼女の躾はわたしから見てもかなり厳しい。
だから、仕事に真面目に取り組んでいないのを見咎められると、きっとその場でお尻ペンペンのお仕置きまっしぐらだ。
楽しいグラビア撮影が、お仕置きの記録撮影になるのは、わたしとしても回避させてあげたいところなのだが。
「美空……」
残念なことに背後から美空を咎める声が聞こえて来て、美空はギョッとした顔をそちらに向けた。
美空もわたしも全く気づいていなかったが、その彼女は実は少し前からこの部屋でスタンバイしていたのだ。
「げ……。美琴さんいたの?」
「げ、とはご挨拶ね。わたしがいたら困るようなことしてたの?」
「別に……」
美琴はパーテーションで仕切られていた場所で作業していたらしく、ついでに美空の行状を確認するためにも、こっそり見張っていたらしい。
全く意地が悪いというか、教育熱心というか。
「あなた、普段からカメラさんにそんな口の利き方してたの?」
「え? 別に普通だし」
咎められての美空の第一声。
ここで素直に「ごめんなさい」と言えていたら、これからのお仕置きを回避できるだろうに、とわたしは思ったが、そう出来ないのが美空という子だ。
「仕事上で付き合う人にちゃんと挨拶。どんな場面でも基本でしょ」
「ちゃんと……したし……。あたし悪くないし」
美空もやましい気持ちはあるのか、声はだんだん小さくなった。
それでも言い訳をやめられないのは、彼女らしい。
今日は彼女の笑顔より、彼女の泣き顔の方がよく撮れる日だろうなあと、わたしは思った。
「お仕置きするので、カメラお願い」
「ちょ……、やだ」
案の定、美琴の宣言でその場でお尻ペンペンが執行される運びとなった。
腕を引かれながら、美空が僅かに後悔の色をのぞかせる。けれども、もう遅い。
「い、嫌だ! なんですぐお仕置きすんの?」
「あなたがお仕置きされるようなことするからでしょ!」
美琴の膝にのせられながらも、美空は、
「と、撮らないで!」
と、わたしの方に最後の抵抗の言葉を浴びせてきた。
残念だけど、そのお願いは聞けない。これはわたしの仕事で、美空の仕事は、お仕置されて顕になった感情を写真に収められることなのだから。
美空のスカートがたくし上げられ、パンッというお尻を叩く音が響いたと同時にわたしはシャッターを切った。
美空のお仕置きの受け方には、パターンがある。
最初は出来るだけ声を出さないように、堪えている。これは、素直にお仕置きを受けていると言うよりも、そんなお仕置きなんて全然効いていないというアピールだ。
けれど、最後までそれで耐えきれた試しはないのだから、彼女の理に合わない意地の様なものだろう。
その意地は次第に剥ぎ取られていく。
「あっ……、くうぅ……っ」
彼女の声でそれが分かる。お尻ペンペンが続くにつれ、美空の大きな瞳には涙の膜が広がって、今にもこぼれ落ちそうになっていた。
パンッ、パンッと一定のリズムになって、お尻の肉に美琴の手の平が打ち付けられる。
やがて、その打ち付けに合わせて、涙がポロポロとこぼれ始めた。
わたしはカメラを向けて彼女の表情を、打たれているお尻を切り取っていく。
こんな風になっても彼女は、まだ魅力的だった。わたしを惹き付けて離さない。一体どうしてこうなのか。
わたしは夢中でカメラを向け続けた。
けれど、わたしが本当に撮りたいのはまだその先にある。
彼女が素直になるその瞬間に。
それは間もなくだとわたしは気づいていた。
「ご、ごめんなさ──」
小さな声で美空は、その言葉を口からこぼれ出させた。
決して言いたくなかったであろうその言葉を。
けれど、言わなければいつまでも続くこのお仕置きを終わらせるために。
「聞こえない。はっきり言いなさい」
美琴は毅然として言った。その言葉に応じるように、
「ご、ごめんなさい!」
と、大きな声が部屋に響く。
やっとわたしは聞きたかった言葉を、映したかった表情をとらえた。
それは涙にまみれた、泣き顔に表情を歪めたものだったが、やはり美しい。
「そう。分かったなら、もういいわ」
美琴はようやく彼女を膝から降ろして、お仕置きの終了を告げた。
******
やはり夕月美空は最高の逸材だ。彼女は笑顔であろうと、泣いていようと、光るものを持っている。
彼女の感情は作り物なんかじゃない。笑いたい時笑い、不機嫌な時は不機嫌さを隠しもしない。だから、いつだって彼女は本物を見せてくれる。
けれど、今日の撮影でわたしは美空に嫌われてしまったかなとも思う。
美空の恥ずかしい場面を写真に沢山収めたのだ。それが仕事とはいえ、彼女は面白くないだろう。
高揚感とゲンナリした気持ちがないまぜになったまま、わたしは廊下を機材の入った鞄を持ちながら歩いていく。
足音にも何だか元気がない。
ふと、背後からわたしを呼ぶ声が聞こえた。
わたしは足を止め、背後を振り返る。
驚いたことに声の主は、夕月美空だ。一体なんの用だろうと、わたしは少しだけ緊張を顔に浮かべた。
彼女はまだ泣き止んだばかりの顔で、残念ながらメイクが涙で流れている。けれど、それでも十分に彼女は綺麗だった。
「今日の撮影──」
彼女が口を開く。わたしは聞き漏らさないように、耳を済ませた。それは、小さな声だったからだ。
「今日の撮影、ごめん……。今度はちゃんとするから」
彼女は思わず見逃してしまうくらい、小さく頭を下げた。あの美空がわたしに謝っている。
「明日は頑張るから、よろしく……。それと、お詫び」
彼女はわたしの手に、何やら握らせた。それはコンパクトな化粧ポーチのような物。
「それ、剥せるジェルネイルだから……。仕事の日以外なら出来るでしょ?」
美空の意外なプレゼントに、わたしは顔を綻ばせた。
「わあ……ありがとう。美空さん」
「別に美空でいい」
そう言って美空はぷいっと顔を背けた。そんな仕草さえも彼女の魅力を引き立ててしまう。
どうやらわたしは彼女の魅力に、すっかりはまりこんでしまったようだ。
これから彼女からますます目が離せなくなる、そんな予感がしていた。
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