「どうしてわたしが怒っているか、分かる?」
「はい。えと、なんとなくは……」
「何その言い方。分かってないじゃない」
「わ、分かってます」
これは事務所でのアイドル嶋七海と、マネージャー出雲美琴の会話のひと場面。
七海は現在絶賛売り出し中のアイドル『ペッシュ』のメンバーのひとりで、メインボーカルだ。
本日はドラマ撮影で七海と美琴は一日一緒に行動していたのだが、七海の仕事の取り組み方に美琴が苦言を呈した形だ。
別に共演者やスタッフに対する態度が悪かった訳ではない。
むしろスタッフや共演者の受けはいい方だ。今日も得意のお菓子作りの手腕を発揮して、手作りのお菓子を差し入れ、現場は和やかな雰囲気に包まれた。
普段うっかり天然な対応をしてしまったり、大切なことをすっかり忘れてしまう事があるけれど、美琴が不満に思ったのは、そんなことでは無いのだ。
「別にぐいぐい前に出ろという訳じゃないけれど、ここぞと言う時にはアピールすることも必要だと、いつも社長も言ってるでしょ」
「は、はい」
おどおどとした、七海の返事。
叱られたくなくて、無理矢理答えているような返答の仕方。
これは分かっていないなと、美琴は額に手を当てた。
撮影現場で起こったのはちょっとしたトラブル。監督が急に、台本にないシーンを撮りたいと言い出したのだ。
それはヒロインである七海が歌唱するシーン。
そのシーンを挟むことで、作品に深みが増すと監督は熱弁する。事務所としても七海を歌わせることにNGなど出すつもりもなかった。
むしろ大歓迎。この子はこんなことも出来るんですと、世間に知らしめるいい機会になる。
実際、彼女の歌声にはファンから、そして業界関係者から定評があった。
それでも、念の為美琴は七海に聞いてみる。
「どう。七海、出来そう?」
それがいけなかった。美琴にとって全く予想外だったが、七海は自信なさげに沈黙してしまったのだ。
「まあ、無理にとは言わないから……」
その沈黙を受けて、今まで熱していた監督も冷水を浴びせられたように冷静になって、自らの意見を撤回してしまった。
結局撮影自体は順調に進んだが、七海はせっかくのチャンスを棒に振ってしまったことになる。
美琴は閉口した。
どこかすっきりしない気持ちで、撮影を見守っていた。
七海はこういうところがある。
自己評価があまり高くないのだ。
実力は兼ね備えているのに、常に一歩引いた所に身を置いている。
控えめと言えば聞き覚えは良いが、この業界そんな人間が長くやっていけるほど甘くはない。
社長の言う通り『ここぞ』という時には、前に出るしかないのだ。
こんなことが続けば、向上心がないだの、やる気がないだのと、悪意を持った受け取り方をする人間も出てくるだろう。
「才能があることを自覚しなさい。実力があるのに隠しているのは、脳ある鷹と言うよりは、ただの怠惰に受け取られがちよ。特にこの業界ではね」
「……分かってます」
二度目の分かってます、は少し声のトーンが下がった。
これは拗ね始めているなと、美琴は気づく。「そこまで言わなくても」というところだろうか。
でも、もう少し駄目押しが必要だと美琴は判断して、七海の気持ちをさらにつついてみる事にした。
「お母さんから立派な才能を受け継いでいるのに、生かさないのは勿体ないわ」
七海がちょっと息を飲み、表情に陰りが見える。
七海の母は有名なオペラ歌手だ。彼女の歌声に魅了された人は少なくない。美琴はオペラにそこまで造詣が深い訳ではなかったが、その歌を初めて聞いた時には感動で胸がうち震えたほどだ。
そして、目の前の七海の歌を聞いた時にも同じような感動を覚えた。だから分かるのだが、彼女──嶋七海の才能は本物だ。
けれど、七海は母親に何らかのコンプレックスを持っているのかもしれない。
正確な所は分からないが、そうなのだろうと美琴は思った。
「可哀想だけど、お尻……、叩くわね? いい?」
「はい……」
七海は何となくその事を予想していたようで、しょんぼりとした声を出した。
こんな時も七海はほとんど言い訳する事はない。ただ表情からすれば、全く納得している訳ではないのが見て取れた。
「言いたい事があるなら聞くけど?」
「いいえ……ないです」
嘘つきだな、と、美琴は思う。
お仕置きを宣言すれば、七海が素直に話すキーになるかとも思ったのだが、その目論見も外れてしまった。
こうなれば、言った手前お仕置きを執行しなければいけない。
「じゃあ、お膝にきなさい」
「はい……」
美琴は表情を引き締めて、ぽんぽんと膝を軽く叩いて七海を呼んだ。
抵抗して無理やりに引っ張られて、膝に乗せられるアイドルも少なくないが、七海はほとんどそんなことはしない。
やりやすいが、やりにくい。
美琴は内心苦笑して、七海を膝の上で押さえつけた。
彼女の為にもいつだって本気で叱って、本気で叩かなければならない。例え、彼女に嫌われてもそれはそうなのだ。
そう気持ちを切り替えて、美琴は七海のハーフパンツをおろし、お尻ペンペンの準備を整えた。
まずは強めの一撃。
手の平を彼女のお尻に叩き下ろす。
ばちん──っ!!
と、事務所内に打擲音が響き渡る。
「ううっ……!」
七海は声を漏らした。
こうなった時は素直なんだから、と、美琴は思う。
お仕置きの最中でも、痛がる素振りを出来るだけ見せないようにして反抗するアイドルもいる。
けれど、七海は打たれた分だけ素直に痛そうにする。
「言いたいことがあったら、最中でも言っていいわよ?」
「ない……、です……」
「そう」
そう会話を交わした後は、美琴は暫くは七海に痛みを与える事に集中することにした。
ばちん──っ!! ばちん──っ!! ばちん──っ!!
「あっ……! ……あぁ……! 痛っ……!」
美琴の叩く音が一定のリズムになって、やがて間隔が短くなっていく。
社長からは痛みをじっくり味合わせるために間を十分に開けなさいと言われるが、ついつい美琴はお尻ペンペンの最後の方には高速で叩いてしまう。
それはそれで、アイドル達の余裕を失わせるようで、美琴はこれはこれでありでないかと思っている。
七海のお尻は、パンツの端から覗く部分が赤みをおびていき、声も涙の湿り気が混ざってきた。
そろそろ泣き始めるなと美琴は感じ、もう一段階スピードを早めた。
ばちん! ばちん! ばちん! ばちん! ばちん!
「ああぁっ!! ごめんなさ……っ! うえぇ……!」
七海の声も大きくなる。
お仕置きはこれでだいたい半分くらい。後もう少ししたら、大抵のアイドルが泣きわめく、仕上げの高速のスパンキングラッシュだ。
七海もその事が分かっているらしく、その瞬間への恐怖からか身が固くなっていくのを美琴は感じた。
けれど、無駄だ。
美琴は、身体を強ばらせるアイドルの心構えを常に打ち砕いてきた。本日もそれは変わらない。
想像していた痛みの倍は感じさせる。
そうでなくてはお仕置きの意味が無い。
本気で泣いて、本気で懲りてもらわなければならないのだ。
ばちん! ばちぃん! ばち──っ!!
ギアを最高速にする。降り注ぐ手の平の連続はこれまでにないくらいになって、七海は直ぐにわんわんと泣き出した。
可哀想だと思う気持ちは脇に追いやり、無慈悲な機械のようにひたすらに打ち据える。
結果、それがアイドル達の為になると信じて。
「うぇぇぇぇん……!! 美琴さん……!! ごめんなさいぃ!!」
もう堪えきれないと、七海が身体をばたつかせはじめた所で、美琴は手の平を止めた。
七海を膝に抱えたまま、七海が落ち着くのを待つ。
「ひぐっ……!! ……えっぐ……!!」
七海が嘔吐いたみたいに泣いている間、美琴は彼女の背中を優しく撫で続けた。
五分以上彼女は泣き続きていただろう。
けれど次第に、普段ならとっくに膝から下ろしてもらえているのに、未だ膝に抱えられていることに戸惑いを感じはじめたようだった。
「あの……。美琴さん……?」
「いいから、そのまま」
七海がもしかしてまだお尻ペンペンが続くのかと、再度不安を顔に浮かべはじめたところで美琴は言う。
「何でもいいから話してみて。今、わたしは七海の顔が見えてないわ。……だから、独り言でいいから。どう思ってるか。お仕置きのせいでつい漏らしてしまった……という事にしてあげるから」
そう言われて、ぐすぐすと軽く鼻をすすりながら七海は考えているようだった。
美琴は今度は急かしたりしない。彼女が話し始めるのを辛抱強く待った。
少しずるいが、こうやって七海の心に触れたいと思ったのだ。
「……アイドルになったのも、わたしが望んだからじゃない……かも」
やがて、七海は本当に独り言のようにぽつりぽつりと語り始めた。
美琴は、もっと話して、と言うように、七海の背中をぽんぽんと優しく叩く。
それは七海の心の扉をノックするように。
「うちのママが有名人だったから……。業界から声がかかって……。あれよあれよという間にアイドルになっていて。だから、本当は自分で望んでここにいる訳じゃないの……かも。あれです、不思議の国のアリスみたいに、迷い込んだ感じ」
最後の例えは、美琴にはぴんとはこなかったが、ただ彼女の背中を優しく撫で続けた。
「だから、知らないうちに色んなことに消極的になっている……のかも……です」
「そう」
最低限の言葉だけ返して、美琴は耳を傾ける。
「かも」と繰り返すあたり、七海にとっても、まだ自分の気持ちが十分に分かっている訳では無いのだろう。
「お母さんの事を持ち出してしまってごめんなさい。あなたの気持ちがどうしても知りたくて、意地悪な事を言ってしまったわね」
「いいんです。美琴さんは悪くありません」
「そう? そうやって許容すると、わたしはますますあなたの心に踏み込んでいっちゃうわよ?」
美琴は楽しそうに笑った。
それを聞いて七海も、ようやく涙目の顔に笑顔を取り戻す。
「これも独り言。聞き流してくれていいわ」
美琴は七海をようやく膝から下ろして、しっかり目を見つめながら話した。
「この業界ね。全くやる気ない子が一秒だって生き残れるような甘いものじゃないのよ。だから、あなたがここまでアイドルとしてやってこれたということは、あなたの中にもやりたいという気持ちがあって、本気で向き合っている所があるということ」
「そ、そうなんですか……?」
七海は自信なさげに俯いた。
「だから考えてみて。お母さんがどうとかじゃなくて、あなた自身が本当はどうしたいのか」
美琴の言葉は真剣そのものだった。
七海は無言のまま、美琴の口元を見つめていた。
「……と言ってもこれで万が一、あなたが辞めるとでも言ったら、わたし社長にめちゃくちゃ怒られるわね」
冗談めかして美琴が言うので、七海もつられて笑う。
「わたし、考えてみます」
七海は言った。
「でも──」
と、直ぐに言葉を続ける。
「多分辞めたりしません。わたしに本気で向き合ってくれる人がいるんですもん」
七海のまだ涙が浮かんでいる瞳は真っ直ぐで、美琴は、この子をアイドル業界のもっと高いところまで連れて行って上げたいと、改めて思うのだった。
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